『ビ ジ ョ ン』 について
『東京都長期ビジョン』都市戦略4 安心・安全な都市の実現に向け耐震化により「倒れないまち」を実現することを事業のビジョンとします。
【現状課題】
「耐震化や不燃化への取組み」
・橋梁、河川、海岸、上下水道など都市施設及び都が所有する防止上必要な公共事業は、耐震化が着実に進んでいる。
・住宅等の耐震化については、【合意形成】に時間を要するなどの課題がある。
【実現すること】
・自助・共助・公助の力を結集し、都民の生命・財産を守る「世界一安全な都市」を実現する。
・耐震化の促進により『倒れないまち』を実現する
『倒れないまち』木造住宅を耐震化により実現する。
・安心で安全な街とは?
近い将来来るであろう首都直下型大地震に備える。
⇕
倒壊➡下敷き➡火災➡焼死
「地震大国 日本」で暮らすために過去から学ぶ地震への備え。
地震の恐ろしさは『繰り返し』にあった。
国の定める耐震基準とは
耐震基準の歴史
■耐震基準改正の流れ
1971(昭和46)年 基礎を布基礎に
↓ 短い柱のような基礎が建物を支えていた昔ながらの「独立基礎」から、より基礎を安
定させることを目的に、コンクリートが平均台のように連続した現在の「布基礎」が義
務づけられた。
↓
1981(昭和56)年 壁量を強化
↓ 大地震でも倒壊しないことを目的に、家の規模に応じて必要な壁の量(耐力壁の長さ
のこと)や筋交いの強度などが改正された。これによってそれまでより家全体に壁の量
をふやさなければならなくなった。
↓
2000(平成12)年 壁の配置と金物強化
↓ 地盤の強度に応じて基礎をつくらなけれんばならないとし、事実上、地盤調査が義務
づけられた。また、より構造体を強化する事目的に補強金物の使用や壁量の計算(バラ
ンスチェック)も義務づけられた。
☆1981(昭和56)年の新耐震基準が特に大きな転換期となり、更に2000(平成12)年の改正もあって木造住宅の耐震性がアップされました。
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阪神淡路大震災で倒壊した建物の多くは、昭和56年6月以前に建てられたものでした。昭和56年6月に建築基準法の耐震基準が大幅に強化されており、それ以前の建物は耐震性が不足している可能性が高いからです。平成17年度末現在の都内の住宅は約558万戸。そのうち必要な耐震性を満たしていない住宅は約133万戸(23.7%)と見込まれています。阪神・淡路大震災の全半壊は約25万戸。同等の震度7クラスの大地震が都内で起きれば、極めて大きな惨事になるということがご理解いただけるはずです。
政府は第3期がん対策推進基本計画の中で治療、予防と並び、仕事との両立を国を挙げて取り組む課題として正式に位置づけた。現在、年間100万人以上ががんに罹患(りかん)する。その3分の1は生産年齢人口とされる。人手不足の中、十分に働ける社員が辞めれば企業にとって損失だ。
本人も収入減と治療のための支出増で家計が苦しくなるうえ、生きがいを失う場合もある。国の負担も増える。治療と仕事の両立が進むことはさまざまなプラスを生む。カギを握るのは企業だ。
がん治療は個人差が大きい。手術だけで終わる人もあれば放射線照射や抗がん剤が必要となる人もいる。勤務時間や休暇取得の柔軟な運用が求められる。介護や育児のため時間単位で休暇を取れる会社が増えている。病気治療にも同様の制度があれば患者は助かる。
支援制度の整備と並行して進めたいのが、職場風土や意識の改革だ。厚生労働省などの調査では、がんという病気への先入観や職場のコミュニケーション不足も就労継続の壁になっているという。
近年の生存率の向上を知らず仕事を辞めさせようとする。本人が公表を望まないのに秘密が守られない。薬の副作用による倦怠(けんたい)感が怠慢と判断される。あるいは患者本人が休暇や手当の制度を知らず、活用されない。こうした例も少なくないとされる。
管理職や人事部門の社員に向けたがん治療に関する研修や、全社員を対象にした休暇制度や手当の周知といった活動に、企業はもう少し力を入れてはどうか。こうした取り組みは、社員が会社や上司と病気について気軽に相談できる雰囲気づくりにも役立つ。
本人、上司や会社と並び、従業員の健康管理では産業医など医療の専門家が果たす役割も大きい。しかしがんの大半は業務が原因でかかる病気ではないため、産業医全般にがんの知識が不足しているとの指摘もある。がん治療に詳しい産業医や産業看護師の育成も急ぎたい。
★たとえがんになっても生き生きと生きられる世の中で有りますようにと思います。
企業でのがん患者に関する研修は、これからは、必修でお願いしたいものです。
抗がん剤治療のつらさは、経験者でなければ解りませんから、私も経験者ですから企業で
のがん対策基本法(平成18年法律第98号)の周知をお願いしたいものです。
ある人が、足が不自由で車椅子に乗る人を手助けした際、車椅子の人が感謝の言葉を口にせず急いでその場を離れたときの複雑な気持ちについて話した。感謝してほしいと考えて手助けしたわけではないが、まったく感謝の言葉がないというのも釈然としないという。私は自分もその立場になれば同じような気持ちになるだろうと思った。
そのとき、精神的な不調のため仕事を辞めざるをえなくなった経験のある人が、感謝の言葉を口にしたいと考えてもできないことがあると発言した。口にするこころの余裕がなくなるからで、場合によっては感謝の言葉を口にしたいと考える余裕さえなくなることがあるという。感謝の言葉を「口にしない」のではなく「口にできない」のだ。
これは私にとっては思いがけない発言だった。私たちは、自分に対する思いやりに接したときには感謝の気持ちを口にするように教えられているし、当然そうするものだと考えている。だからこそ、私たちは、こころのどこかで感謝の気持ちを口にしてもらって当然と考えるが、それができない人がいる。
こうした齟齬(そご)が生まれるのは、障害を持つ人を手助けするときだけではない。人間関係で、自分の考えに縛られずに相手の気持ちを思うこころの余裕が必要なのは、そのためだ。
(認知行動療法研修開発センター 大野裕)
*人生を賭ける‼
志を具現化して歩む、何と素晴らしい人生でしょう。
私は本欄で、1990年、終末期がん患者さんが、自分らしく生きることが難しかった当時の悲惨な終末期医療の現状を変えるべく、医者人生を賭けて「病院で死ぬということ」(現・文春文庫)を世に出したことをお伝えした。その最終章で私はこう宣言した。「僕の前にも僕の後ろにもホスピスへ続く道はある。だが、いまだその道は狭く険しい。僕はその道の整備に医者を職業としている一人の人間として参加する。二一世紀がテクノロジー万能の社会ではなく、少しでも人間的な社会であることを目指すために」と。
それから29年間、ひたすらその宣言通りに歩んできたつもりである。当時に比べれば、緩和ケアの広がりに伴い、終末期医療の状況は改善したと思う。だが、臨床の最前線にいる私の目の前には、解決すべき課題が、いつも、当たり前のように現れる。これからも、命ある限り、そのような課題解決のために歩み続けたい、と願っている。そして、けっして平坦ではないその道を共に歩んできてくれた大切なケアタウン小平チームはじめ同志の皆様一人一人に心よりの「ありがとう」を伝えたい。
さて、本欄で、緩和ケアに係る様々な課題の一端を、折々報告させていただいたが、今までの歩みを総括し、いまだ、道半ばである先述した宣言の実現に、残りの人生を賭けるべく、昨年「『在宅ホスピス』という仕組み」(新潮選書)を世に出した。ご一読いただければありがたい。
最後に、私の雑文が読者の皆様のお役に立つことがあったとすれば望外の喜びだ。そうであった事を願いつつ筆をおきたい。